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2月1日

2月1日は私にとって忘れられない日の1つだ。

小学校6年生だった私が中学受験をした日。
私の受けたA女子中学校は茗荷谷にある。茗荷谷は私にとっては慣れた場所だった。
塾が駅前のおんぼろビルにあったから。
なのにその日は違う場所に思えるくらい緊張していた。
Aは模試でたまに合格圏内に入るようなレベルだった。
他の受験生に紛れ、慣れた道を歩き、学校の門をくぐった。
校門に並ぶ三つ編みのお姉さんが受験生に「ごきげんよう」と声をかけていた。
「ごきげんよう」などマンガの世界でしか聞いた事のない言葉だったから、
私は小さな声でうつむきつつ「ごきげんよう」と言った。

試験中、教室には鉛筆の音が響き渡り、止まる事がなかった。
その音を聞き、隣の席にいたまじめそうなこの顔を見た時、私はだめかもな、と思った。
試験が終わり、面接の時間になった。私はチェックのミニスカートをはいていた。
でも周りはみんな紺やら黒やらのひざより長いスカートのスーツを着ていた。
たまに見かけても上品なバーバリーのスカートどまりだった。
やっちまったと思ったが、もうどうしようもない。長い一日が終わった。

そして次の日、私はのちの母校となるK女子の試験だった。
こちらは偏差値的に合格圏内だったので割と試験も楽だったし、
もう一度面接も経験しているので割とすんなり行けた。

それより私の心配は1日目の試験結果だった。
私は1日目、本当はJという学校を受けたかった。
Aよりは合格判定が出ていたし、制服もかわいかったから。
しかし渋谷という立地やAのネームバリューから母はどうしてもAを受けさせたかったようだ。
でもAを受けるからには、合格したかった。
それに私の幼稚園から親友がAを受けていたので、落ちるのも格好悪かった。
でもだめだろうなと思った。
試験中に結果を母が見に行っていた。試験が終わるなり「どうだった?」と聞いた。
だめだった。補欠にも引っかかってなかった。
そう聞いたものの、どこかで「見落としているかもしれない」と
もう一度茗荷谷に連れて行ってもらう事にした。
結果は間違っていなかった。少なからずショックだった。
親友の受験番号は補欠のところにしっかりと刻まれていた。

翌日は入試もなく、Kの受験発表のために学校を休んでいた。
飯田橋の駅を降り、普通に坂を登った。
そして学校に着き、合否発表の入った封筒を受け取った。厚い。折れ曲がらない。
早速開封した。合格だった。思わず子供らしくぴょんぴょん飛び跳ね喜んだ。嬉しかった。
その後学校近くのルノアールに行ってお昼を食べ、
いろいろな資料を読んでゆっくりしていた。
そうしたら母が「あ、まずい。もう今日中にいくらか振り込まなくちゃいけないんだって!」
と慌てた。急いで会計を済ませ、銀行へ行った。用を済ませ、家に帰る事にした。

4年生ぐらいから週に何度も塾に通った。
普通の友達とは違う生活をしていた。それがやっと終わった。
ほっとしたのか、私は飯田橋の駅で貧血を起こしてしまった。
今から考えると、小さな体(大きかったけどね。)に大きな負担だったのかもしれない。
次の日は出願していた学校があったがスキップして母と池袋に行って遊んだ。

今から考えると、私はAに受からなくて良かったと思う。
Kではバカな友達ばっかだったけど、楽しくて無理をしないで毎日を過ごせた。
今でも思い出すと愛しい日々だ。
Aに受かっていたらいたで、別の私が生まれていたかもしれないが、
ごきげんようなんてやっぱり私には必要ないわ。
毎年この日が来ると16年前を思い出す。
そして親子二人連れを見ると、心の中で応援する。

ガンバレ、受験生。
by mic_tic | 2005-02-01 21:25